おえかきの話

おえかきの話といいつつ自分語りです。


私は絵を描くことが好きです。
とても好きなんですが、正直なところ自分がこんなに一生懸命絵を描くようになるとは思っていませんでした。おえかきはノートの落書き程度で、大学でもなんとなくピアノを続けるものだとばかり思っていました。

絵を描くこと自体は昔から好きで、物心ついた頃からおえかきが好きな子どもだったように思います。
1番古い記憶は3歳か4歳ぐらいの時に描いた丸と三角と棒でできた人間の絵です。どうやら昔から人間を描くのが好きだったみたいです。

小学生〜中学生の頃はクラスに1人2人ぐらいは存在する″ちょっと周りより絵が上手い子″の立ち位置で、友達と授業中のらくがきを見せ合ったり、漫画の真似事みたいなノートを交換したりしてました。懐かしい。渡したノート、もう捨ててくれてるといいな。
高校生になってもこれは変わらず、スケブに漫画キャラの模写をしたり、ノートの端っこのらくがきを消し忘れて先生に怒られたりしていました。

絵が好きな子供ではあったんですが、学校では美術部には入らず(中学にはそもそも文化部がありませんでした)、人間の骨格がどうとか構図がどうとかいう「絵の勉強」はほとんどしませんでした。
中高生ぐらいの時は「ペンタブがあれば私も上手く描ける」と思っていた時期で、ペンタブで漫画を描いている友人や後輩が羨ましくて仕方なかったです。
大学でバイトを始めてやっと購入に至ったのですが設定が上手くいかず、ほぼ1年間放置し、その間はスマホ版のMedibang paintを使って指で描いていました。(感知領域の設定をするだけで解決しました。あの1年は何だったんだ)



タラチオさんを知って私の世界が一変したのは大学2年の時でした。
タラチオさんの歌に出会っていなかったら、Twitterアカウント開設後にファンアートの企画に参加していなかったら、今仲良くして頂いているフォロワーさん達に出会っていなかったら、こんなに頑張って絵を描こうなんてきっと思いませんでした。

なんとなく今までやってたからという理由でピアノを続けて、なんとなく大学の授業に出て、お金は欲しいからバイトして、家と学校とバイト先を行き来するだけのペラッペラな大学生活になっていたと思います。
そして社会人になって自由時間が減って、お手軽に世の中に溢れている素晴らしい絵を見ることが出来る今の時代ですので、「自分が描かなくてもいいかも」なんて思ってどんどん絵から離れていったかもしれません。



今まで私が聴いてきたプロのミュージシャンや歌い手の方々は、何千、何万の沢山のファンが感想や解釈を発信し合っていました。私があえて発信しなくても、自分の気持ちを代弁する文章やファンイラストが沢山ありました。

私がタラチオさんの歌に出会ったときには、まだコメントの母数が少なく、自分の感動を伝えるには私が発信しなくては、と思わされたのです。
文章が苦手だと思ったことはこれまであまり無かったのですが、自分の中の大きすぎる感情を整理してアウトプットするには言葉という手段はとても難しく感じられました。動画に流れるコメントはあまり長文になっても良くないですし、どうにも取ってつけたような熱量の無い言葉に思えて仕方なかったのです。
一種のファンレターのような気持ちで始めたファンアートという表現手段は自分に合っていると思いましたし、それに共感してくれる方がいらっしゃったこともとても嬉しかったことを覚えています。


タラチオさんだけでなく、今までずっと好きで歌を聴いてきた方にも、数年越しに好きの気持ちを表現出来ていることがとても嬉しいですし、ご本人に1人のファンの存在をお伝えできているのではないかなと思えています。(まめやろうさんという女性の歌い手さんです。本当に素晴らしい歌声ですので是非聴いてみてください。http://www.nicovideo.jp/mylist/1112485 )



「人は関心を寄せられたい生き物」という言葉がありますが、本当にその通りで、自分の創作物に興味を持ってもらえることってすごく嬉しいしありがたいことだなと思います。
見て頂けるだけですごい!その上感想まで頂けるなんて!FAに貼っているリンクから動画を見てくださる方が数人でもいらっしゃることが本当に本当に嬉しいです。
リプライもとっても嬉しいんですが、″ありがとうございます″以上の言葉が見つからず毎度似たような返信になってしまい申し訳ないです。私は画面の向こうで引くほど喜んでおります。


これからも絵は描き続けると思いますので(そうありたいと思います)、どうぞよろしくお願いいたします。
自分語りと皆様への日頃の感謝でございました。